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『樺太1945年夏 氷雪の門』を見ました!

シネマスコーレにて、映画『樺太1945年夏 氷雪の門』を見ました!樺太を舞台にした戦争映画です。1974年に公開される予定でしたが、当時のソ連の圧力により全国公開はされず、今回、36年ぶりの劇場公開となった作品だそうです。ちなみに「氷雪の門」とは、稚内公園に建てられている、樺太で無くなった人たちのための慰霊碑のことです。


時は1945年、樺太の西海岸の真岡という町が舞台で、真岡郵便局に勤める電話交換手の女性たちが主人公です。太平洋戦争は1945年8月15日に終戦を迎えますが、それでも樺太でのソ連軍の侵攻は止まず、ついに8月20日、ソ連軍の艦隊によって真岡の街が砲撃され、真岡郵便局に最後まで残った9名の女性交換手の運命は…みたいな物語です。詳細は映画公式サイトやWikipediaに詳しく書かれています。「氷雪の門」で検索すると出てきますので、ご参照ください。


感想:たいへん重い映画で、見ごたえがありました!悲惨な話でした。
樺太でこんな歴史的事実があったとは、恥ずかしながらまったく知りませんでした。樺太に住む人々のために、最後まで自分の仕事をやり通した交換手の方々の意志の強さには頭が下がります。結末の悲しさといったら、もう、言葉になりません。見てよかったです。
あと、36年前の映画なので、丹波哲郎藤田弓子木内みどりも若かったです。だが赤木春恵はあまり変わってないように見えました。赤木さんすみません。


あと

  • 当時としては破格な大規模の、5億円以上の予算をかけて作られたという作品だけあって、銃撃戦や爆撃のシーンでの火薬の爆発が大迫力でした!地面が爆発する場面は、最近の映画よりも爆風の量が大きいようにも見えました。当時は火薬の量の制限がゆるかったのかな?火災のシーンも家々が豪快に炎上してました。
  • ソ連軍の容赦なさったら、なかったです!ソ連軍ももうちょっと融通を利かせてくれればよかったのに!という憤りを感じました。そんなふうに、戦争映画とはいえソ連に対して悪印象を感じてしまうから、当時、政治的に問題になって、全国公開されなかったんでしょうね。
  • ソ連軍の将校と話し合いをする場面では、ソ連兵の顔が映っていましたが、それ以外の、森や市街地で銃撃戦をするシーンでは、ソ連兵の顔ははっきり写らず、顔が判別できないような遠目からの映像だったり、首から下だけ撮っていたりしていました。政治的な気遣いなんでしょうか。
  • 枕の詰め物だった小豆を持ってきて、おしるこを作ってみんなで食べるシーン、おしるこが美味しそうでした。枕の中身に食べられるものを入れておくというのは、いざというときのサバイバル術として、今でも有効なのではないかと思いました。壁紙を食べられる素材で作っておくとか。虫に食われそうだけど。
  • 郵便局長さんは立派な人だった!戦争で動揺する大勢の女性を前に、落ち着いて堂々と指示をする。それと恰幅が良いし、家では和服。地元の名士というのは、こういう人のことを言うんだと思った。
  • 大勢の人々が列をなして、徒歩で避難するシーン。ものすごい行列。みんな大荷物を背負って、両手にも大きな荷物を持って歩いていますが、体力の限界で持ちきれなかったのか、道端に点々と荷物が落ちている。足が痛いからもう歩きたくないと泣き叫ぶ子供。札束を出して「これをやるから、わしも連れて行ってくれ!」と懇願する老人。戦争って悲惨です。
  • 避難の途中で空からの爆撃を受けて、子供が撃たれてしまい、精神的に耐え切れなくなって、大声で笑い出す母親。戦争って怖いです。